一生もののレンズ

雑感

皆様は一生モノのレンズをお持ちだろうか。
カメラを始めてそれなりの方であれば、自分にピタリとハマるレンズと出会うこともあるだろう。
写真を撮影する道具として、自分の表現を理想的な写真へと導いてくれるレンズに出会うことはとても幸せなことだと思う。
僕にも、このレンズは使っていてとても心地が良い、あるいは長い時間をかけて付き合っていきたいと感じるレンズがある。
今回は一生モノのレンズについてまとめておく。

一生モノのレンズと胸を張って他人様に言えるレンズがあることは、写真を生活の一部にしている人にとって、とても素敵なことだと思う。
生涯にわたり使い続けたい、愛用していきたい、コレさえあれば何でもできる、そんなレンズは写真撮影のパートナーであり、無くてはならない存在だ。

写真が趣味と言っても、撮影対象は人により様々であり、お気に入りのレンズも人により様々だ。
僕はスナップや風景が多いので望遠レンズは使わない。
ズームレンズすらほとんど使用しないため、僕のお気に入りのレンズはすべて単焦点レンズだ。

一生モノのレンズとは、僕の中で一定の水準がある。
まず、長持ちするものでなければならない。
レンズはカメラに取り付けて外へ持ち出して使うものであるにもかかわらず、カメラに取り付けると全体が丁字のような特異な形状となる。キレイな箱型ならば良いのだが、このような形状では意図せず何かにぶつけてしまい破損させてしまう可能性があることから、長く修理の対応が可能なレンズということになる。

また、描写性能も重要である。これは高い低いではなく、自分の撮影スタイルにマッチしているかどうかである。
ノスタルジックな表現が好きなのでオールドレンズが良い、あるいは高解像でパキっとした表現が好きなので最新のレンズが良いなど様々あるが、レンズの描写性能には個性があるため、それが自分の表現したい写真スタイルと合っているかが重要だ。

そして、撮影していて楽しいことも重要だろう。
描写性能に繋がる話になるが、このレンズでもっと色々なものを撮影したいと思ったり、こういったシーンではどのように写るのかと描写力について探求したくなるレンズには興味が尽きることはない。
写真はレンズで変わる。
撮影スタイルが変わればレンズも変わる。
逆に自分の撮影スタイルが確立されれば、その時のレンズしか使いたくないだろう。
ペンや腕時計にも言えることだが、それが自分の体や心の一部になってしまったら、それはあなたの一生モノのレンズと言えるのではないだろうか。

ここで僕の一生モノのレンズを紹介する。三本あるw

ひとつ目のレンズはシグマの20mm F1.4 DG HSMである。
実はこのレンズは既に手元にないw
僕は夜景撮影が好きなのだが、その際にこのレンズを好んで使った。
開放で撮影してもピント面が鋭く、「夜景=露光時間が長くノイズが多くて大雑把な写真」という僕が持つネガティブな印象を払拭してくれたレンズだ。
夜景以外の出番があまり無い事から、使用機会が少なく手放したのだが、これが大失敗でとても後悔した。いつか買い戻したい。もしくは現行モデルの20mm F1.4 DG DNを入手したいと思っている。
とても鋭い輪郭表現と温かみを感じる色表現が好きだった。忘れることが出来ないレンズだ。

ふたつ目は上がりのレンズとして有名なライカのSUMMILUX-M 50 f1.4 ASPH.だ。
僕が所有しているのは現行モデルの11729である。発売から5か月後に購入した。
マップカメラで購入したのだが、このときは旧型も並行して販売されており、旧型は12万円安かった。
新旧の差異は主に2点である。
最短撮影距離が旧型が0.7メートルで新型が0.4メートルである点と、質量が新型の方が40g増加している点だ。
新型を選んだ理由はふたつある。
寄れることと、今後価値が上がることが確実だったからだ。
注文を入れたときは既に値上げのアナウンスがされた後たった。このレンズも値上げの対象になっていたが、事前に注文していたため値上げ前の価格で購入することが出来た。ライカはその後も順調(?)に値上げを繰り返しており、このレンズの価値も上昇している。
肝心の描写については、繊細な描写が得意な印象。しかも、それがF1.4の明るさで撮影出来る。
焦点距離が50mmでF1.4であることから被写界深度はかなり浅い。
風景でもスナップでも開放で使うにはセンスが問われるレンズであるが、その圧倒的な描写性能は息を飲むほど素晴らしい。
この描写力を超えるレンズは存在しないのではないかと思ってしまうほど魅力溢れるレンズだ。 注:僕はアポズミクロンの描写を知らない。
このレンズを入手してから、他のメーカーのレンズには興味がなくなってしまった。
たとえ他のマウントの新しいレンズが大きな話題になったとしても、全く羨ましいと思わなくなった。
どんなに評判が良いレンズでもこのレンズの描写性能には敵わないと思っているし、サイズと質量は比較にもならないだろう。
この先、例えカメラボディを買い替えたとしても、このレンズは何十年も使い続けたいと感じる魅力がある。

最後のレンズは、ELMARIT-M 28mm f2.8 ASPH.だ。
僕が最初に購入したライカ製のM型レンズであり、今の僕には無くてはならないレンズだ。
もし、一生モノのレンズを1本だけ選べと言われたら、このレンズを選ぶだろう。
このレンズの質量はわずか175gである。
非常に小型で、ぱっと見ただけではマイクロフォーサーズ用のレンズかと勘違いしてしまう程である。それでいてフルサイズのイメージサークルに対応しており、描写は繊細で色収差が極めて少ないため、これほどスナップ撮影に適したレンズは無い。
また、製造品質も極めて高い。
購入当初はフォクトレンダーの APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical VMを所有していたが、フォーカスリングや絞りを操作した感触は明らかにこれよりも一段上の品質であると感じた。
僕は電車に乗ることが多いのだが、社内で座っているときなど手持ち無沙汰の際によくピントリングや絞りをクリクリと無意味に操作をしてしまう。品のない表現をすると撫で回すのが好きだ。
それくらい、触れている感触が心地よい。
多くのライカレンズと同様に被写体が浮き出ているような極上の描写性能がとても素晴らしく、写真の中で色が躍動しているようである。
描写性能が良いレンズは、大きく、重く、開放F価が小さいレンズであることが定石であるという固まった考えを覆したレンズだ。
現行のM型ライカのレンズでは最も小型で安価なレンズだが、品質や描写性能は紛れもなく一級品である。
購入当初はこれほど小さなレンズで果たしてどこまで写るのかと自分で買っておきながら訝しく思ったが、別次元の世界を見てしまった。
その素晴らしい描写力のお陰で、まるで自分の腕が上がったかのような感覚を覚えた。
しかし、よくよく考えると、実際にはこれが僕の本来の実力であり、他のレンズは僕の実力に対しての足枷になっていたのではと考えるようになった。
実力がはっきりと反映されるのであれば、もはや下手な写真は機材のせいには出来ないし、このレンズで下手な写真は撮ることは自分の実力への否定に繋がると思った。
今後、さらに良い写真が撮りたいのであれば、あとは自分の腕を磨くしかないのだと、このレンズを使って知った。

LEICA CL | LEICA Elmarit M 28mm F2.8 ASPH.

どことは敢えて言わないが、一部のメーカーにはカメラボディ側で歪曲などの電子補正処理を行うことを前提としたレンズがある。
メーカーにより写真撮像の考え方は様々だと思ってはいるが、このようなレンズが写真撮影のための製品であるとは少々理解し難い。
カメラのレンズはデジタル製品ではなく光学製品であるべきだと思っている。
そのため、こういったレンズには工業製品としての魅力はもちろん、光学製品としての魅力も全く感じない。
ましてや、一生モノのレンズという愛着は湧かない。